善勝寺だより 第41号 平成15年1月5日発行 発行責任者 明 見 弘 道 |
|
(2ページ) |
東光山ミニ法話
『白隠禅師座禅和讃』その9それ摩訶衍の禅定は 称歎するに余りあり
「ところで大乗仏教の教える禅定こそは、讃えても讃えきれないほどにすばらしいものである。」
ここで『座禅和讃』は一転して大乗仏教を讃嘆いたします。起承転結の承に入りました。
摩訶衍というのは梵語(インド語)をそのまま漢字に音訳したもので、摩訶般若・南無・菩薩などもそうですが、原意があまりに含蓄が多く、漢文として適当な訳語がない場合発音の同じ漢字を当てて音訳します。日本であればカタカナで表すといったところです。
マカエンのマカという言葉にも、大きい、多い、勝れているなどといった意味が含まれています。一般に大乗仏教と訳しますが、本来大乗仏教と小乗仏教などと分けることが適当ではありません。仏法そのものといった方が良いと思います。
お釈迦様から伝えられている仏法には「禅定」というものがあり、これほどすばらしいものはないというのですが、この禅定も、足の痛いのを我慢してただ座っているという座禅だけをさしていうのではありません。禅の修行も座禅が基本ではありますが、掃除をしたり、お経を読んだり、食事をしているときもこの禅定の内にあることを目指します。
天台宗では座禅のことを「止観」といいますし、チベット仏教の瞑想も座禅と同じといわれています。また、後にでてきますが一心に「南無妙法蓮華経」と題目を唱えるのも、無心で「南無阿弥陀仏」と念仏するのも禅定です。
「座禅和讃」だから座禅だけを褒めているわけではありませんし、ましてや禅宗だけが良いなどという一宗一派を高揚するという狭い意味ではありません。仏教のすべてについて賛嘆しているのであります。
◇永代供養◇
永代供養という言葉は皆さんご存じかと思うのですが、この言葉は決められた定義はなく、寺によってもいろいろな意味に使われています。
善勝寺において、今までは、当寺檀家(平成4年以前檀徒名簿に記載されている家、平成4年以降入檀金を納め、檀徒と成られた家)戸別の過去帳を収めた位牌、並びに、永代供養合同墓『東光山合同船』の霊簿を収めた位牌を本堂内陣に祀り供養することを意味していましたが、不十分なことがあると同時に、今後代々の住職が怠りなく続けることこそ本当の永代供養と考え、12月12日の役員会にて定義として定めました。
『善勝寺永代供養の定義』
檀家先祖霊の内、明治以降死没者の戒名、並びに「東光山合同船」納骨者の戒名を『祠堂位牌』と『日毎永代供養帳』に記帳し、祠堂位牌に対する全体的な供養と同時に、『日毎永代供養帳』を基に祥月命日には朝課時に戒名を唱えて、永代に回向すること。
今年の春彼岸までを目安に『日毎永代供養帳』に記入する作業をしているところです。その後は年一度の祥月命日には回向できることと存じます。
【前のページへ】 | 【過去の善勝寺だよりへ】 | 【次のページへ】 |