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善勝寺だより 第126号

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令和6年3月10日発行
発行責任者 明見弘道
(2ページ)
善勝寺だより第126号

  鈴木大拙の禅とは何か    その3
                                     

前回まで、一人一人の仏教徒の「仏教生活」が、大きな仏教という大河を進展増大させていると思うことが大切だとの内容でした。
 では「仏教的生活」とはどういったものかが今回のテーマです。
(鈴木大拙先生の言葉です)

{仏教徒の生活とは、その宗教的意識の流れの中に自分の力をば加えていくものだということになる。その流れから栄養分をとって、それを自分のものにして、自分の力をまたそこに加えていく。

ちょうど国に税を納めるのと同じようなものである。われらは国からいろいろの栄養分をその生活の上にとるが、またその国の栄養分によって、われらは国に税を納める、それで国は国として費用を弁じてゆく。そういった関係である。そういうことになるというと、私どもの仏教生活はどういう風になるかというと、その関係はただ個人だけに、自分だけに止まらず、直ちに仏教というものの中に、すなわち全体に対して大いなる影響を及ぼすものであると、私は考えている。こういう風に考えると、いつも一つの型を守るものではない、いろいろの型をとって現れていかねばならぬものである。
 それで仏教を構成しているところの諸因子は、「仏の人格」「仏の体験」その他、第3には「仏教徒各自の経験体験」というものを、仏から得たものに加えて行く。それで「経文」というものがいろいろにできていっても構わぬということになる。
 こういう風に解釈をしてゆくと、ここにおいて禅宗というものが出てきても、真宗というものが出てきてもさしつかえないということになるのである。
 しかしこれだけでは、まだ漠然として仏教徒ということ、また仏教の信者、仏教生活ということは、十分な説明ができていない。もっとはっきりと、どこに仏教徒という、仏教生活というものの内容を求むべきであるのか。

私の考えるに、仏教生活というものの本質を、「阿耨多羅(あのくたら)三)藐(さんみゃく)三菩提(さんぼだい)」
いう名題に置いたらよいとおもうのである。これは正覚(しょうがく)ということであるが、
詳しくいうと阿耨多羅とは無上である、
三藐は正にあたり三菩提はというに当たると言ってよい。とにかく、仏教の生活というものの中心をなしているところのものはこの三菩提、すなわち正覚と言うことでなくてはならぬ。}

( 続く)


お勧め図書

image126この度「般若心経」の解説書としてとてもいい本が出版されました。
 円覚寺派管長横田南嶺老師は、京都花園大学の総長もお務めされておられます。その老師が令和4年4月から12月にかけて6回、学生に講義されたものが「はじめての人に送る般若心経」とのタイトルで「春秋社」から今年の1月に出版されました。
南嶺老師からこの本が送られてきてすぐに読みましたが、「これはスゴイ、イイ」と思い円覚寺の宗務所に電話し、お礼を言って、新たに50冊送っていただきました。
善勝寺の役員さんや青年部の皆さんらにも配って、騎西の保寧寺さんにも差し上げましたところ「イイ」の一言、
「100冊買うから注文してくれ」「100冊もどうされるのですか」と言ったら「今までお世話になった人に恩返しのつもりで進呈する」とのこと。
この本は、学術書のような難しいものではありません、老師が心を込め、若者に語りかけたものです。
 多くの方にお読みいただきたく思い謹んでお勧め致します。

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