善勝寺だより 第116号令和3年9月13日発行発行責任者 明見弘道 (2ページ) |
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東光山ミニ法話
『舎利礼文』 その2
舎利礼文(しゃりらいもん) (全文)
一心頂礼(いつしんちょうらい) | 万徳円満(まんとくえんまん) |
釈迦如来(しゃかにょらい) | 身心舎利(しんじんしゃり) |
本地法身(ほんじほっしん) | 法界塔婆(ほっかいとうば) |
我等礼敬(がとうらいきょう) | 為我現身(いがげんしん) |
入我我入(にゅうががにゅう) | 仏加持故(ぶつがじこ) |
我証菩提(がしょうぼだい) | 以仏神力(いぶつじんりき) |
利益衆生(りやくしゅうじょう) | 発菩提心(はつぼだいしん) |
修菩薩行(しゅうぼさつぎょう) | 同入円寂(どうにゅうえんじゃく) |
平等大智(びょうどうだいち) | 今将頂礼(こんしょうちょうらい) |
前回は仏舎利のことと塔婆のことを説明しましたが、今回からこの舎利礼文を「仏さまと一つになるお経」(転法舎発行)を参考にして解説致します。
このお経は私が小学生の時、父から
「これはお墓で読むお経で、引磐(*いんきん)を打ちながら読むので経本を持って読めないから暗記しなさい」と言われた覚えがあります。意味など全く分からないまま読んでました。(お経は大体そういうものなのですが)
善勝寺では、納骨の時などお墓でも読みますが、法事の最後に香を焚いて塔婆を1基ずつ薫じる時も読んでいますので、聞きおぼえあるかと思います。
短いお経ですから、皆様も「延命十句観音経」と共に覚えて頂き、声に出して読んで下れば幸甚に存じます。
一心頂礼(いつしんちょうらい) 一心に礼拝致します。
「頂礼」とは五体投地(ごたいとうち)のことで、もともとは古代インドにおける最高の敬礼をいいます。仏さまへの敬意を体全体で表現するのですが、まず両膝(ひざ)、そして両肘(ひじ)・最後に頭を地面に投げ出して礼拝します。
臨済宗では、単に「拜(はい)」と言っていますが、両膝・両肘・頭を床に着けて拜をしますので、五体投地であります。
善勝寺では正月・彼岸・施餓鬼会などの行事には最初に皆さんと一緒に般若心経を読みますが、そのお経中に畳に、あるいは座布団の上に左手に掛けてあった布(座具(ざぐ)といいます)を敷いて三回拜をしています。これを三拝式と言います。大きな行事になりますと、これを3度繰り返す九拜式、6回繰り返す十八拜(じゅうはつぱい)式というのもあります。
仏さまあるいは高僧にたいしての最高の敬礼の姿です。
チベットなどでは、僧侶だけでなく一般信者も五体投地をします。膝を着けた後、完全に腹ばいになり手も伸ばします。同じ場所で何度も繰り返す場合と、五体投地で伸ばした手の位置に立って五体投地をし、また手の位置まで進み五体投地を繰り返します。表現はよくありませんが、最初インドで見たとき、まるでシャクトリ虫だと思いました。こうして仏塔を右回りに何度も回ったり、目的地である聖地まで何キロも五体投地で進みます。腹から膝にかけては皮の前掛けを着け、手には板と皮で作った大きな手袋をはめています。そこまでしてただ一心に五体投地を繰り返すのです。
さて「一心頂礼」ですが、五体投地という形式もさることながら、大切なのは「一心」なのではないかと思います。一心ですから、雑念をさしはさまずお参りすることが大切でしょう。
(続く) |
引磐(*いんきん)=棒の頭にリンが付いてて金属の棒でたたくとチーンと音がなるもの。
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