善勝寺だより 第117号令和3年12月20日発行発行責任者 明見弘道 (2ページ) |
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東光山ミニ法話
『舎利礼文』 その3
舎利礼文(しゃりらいもん) (全文)
一心頂礼(いっしんちょうらい) 万徳円満(まんとくえんまん)
釈迦如来(しゃかにょらい) 身心舎利(しんじんしゃり)
本地法身(ほんじほつしん) 法界塔婆(ほつかいとうば)
我等礼敬(がとうらいきよう) 為我現身(いがげんしん)
入我我入(にゅうががにゅう) 仏加持故(ぶつがじこ)
我証菩提(がしょうぼだい) 以仏神力(いぶつじんりき)
利益衆生(りやくしゅうじよう) 発菩提心(はつぼだいしん)
修菩薩行(しゅうぼさつぎよう) 同入円寂(どうにゅうえんじゃく)
平等大智(びょうどうだいち) 今将頂礼(こんしょうちょうらい)
【意訳】(前半)
一心に礼拝(らいはい)いたします。あらゆる美コを具(そな)えられたお釈迦さまを。
お釈迦さまのご遺骨、お釈迦さまの悟られた真理、お釈迦さまの供養塔を心から礼拝します。
このように礼拝しますとお釈迦さまは私たちのためにお姿を現(あらわ)されるだけでなく、私たちといっしょにいてくださいます。
『舎利礼文』を読み進めてまいりますと、「入我我入」という文言がでてきます。直訳すれば「我に入り、我が入る」となります。専門的なことはさておき、「仏が我に入り、我が仏に入る」という具合に「仏」を挿入していただくと、わかりやすくなると思います。別々のように見える「我」と「仏」とが溶け合った姿、つまり仏さまと一つになるのが「入我我入」の境地です。
東洋哲学者・鈴木大(だい)拙(せつ)博士は、仏教思想や禅を世界に紹介したことで名を知られます。大拙博士と岡村美穂子氏(博士の最晩年に師事した)との出会いのエピソードを紹介いたします。
当時82歳であった先生は、コロンビア大学付属のホテル・アパートメント、バトラー・ホールに住んでおられました。
(中略)
そんなお部屋の窓ぎわには、アフリカ菫(すみれ)が陽(ひ)の当たるほうを向いて優しく咲いていました。机上のタイプライターと電話機、大拙先生のスッキリとした服装と流(りゆう)暢(ちよう)な英語、私は時代の渾(こん)然(ぜん)とした融合調和に、とまどいと憧(しよう)憬(けい)を感じないではいられませんでした。
「人が信じられなくなりました。生きているのが空(むな)しいです」
おさげ髪の一少女のこの訴えを聞いて、先生はただ「そうか」と頷(うなず)かれた。
否定でも肯定でも、どちらでもない言葉だと思いました。が、その一言から感じられる深い響きは、私のかたよっていた心に、新たな衝撃を与えたのではないかと、いまにして鮮明に思い出されます。
先生は私の手をとり、その手のひらをひろげながら、「きれいな手ではないか。よく見てごらん。佛の手だぞ」そういわれる先生の瞳は潤いをたたえていたのです。
(岡村美穂子・上田閑照「思い出の小箱」から)
岡村氏はアメリカに生まれ育ちました。渡米中の博士と出会ったのは15歳ぐらいの頃でした。思春期を迎えた人間として、人生や世の中に対して疑問を持つ時期でもあります。「人が信じられなくなりました。生きているのが空しいです」は切実な悩みだったことでしょう。
人が信じられない。こんな人生などつまらない、生きていく価値などない。そういう疑問のまっただ中で、大拙博士の真実の教えに触れました。
「きれいな手ではないか。よく見てごらん。佛の手だぞ」の一言が彼女に与えた衝撃は測り知れません。大拙博士が教えたのは「あなたは仏だぞ。何も不足はない」ということです。
つまり「他人を信じるか信じないかを論ずる前に、あなたはあなた自身を信じればよい」と教えているのです。なぜなら、私たちは仏さまと一つなのですか。
(つづく)
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