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善勝寺だより

善勝寺だより

善勝寺だより 第114号

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令和3年3月8日発行
発行責任者 明見弘道
(2ページ)
善勝寺だより第114号

東光山ミニ法話



『菩提和讃』 その5    妙心寺派布教師会現代語訳

尚(とうと)ぶらくは人(にん)間(げん)の Image
受(う)くる形(かたち)はそのままに
仏(ほとけ)の姿(すがた)にかわらねば
本来(もと)より具(そな)えし霊(れい)明(みよう)の
一(いち)仏心(ぶつしん)に覚(めざ)むとき
この身(み)すなわち仏(ほとけ)にて
仏(ほとけ)が仏(ほとけ)を念(ねん)ずれば
一(ひと)声(こえ)唱(とな)うる称(しよう)名(みよう)も
諸(しよ)仏(ぶつ)の浄(じよう)土(ど)に通(つう)徹(てつ)す
日日(にちにち)仏(ほとけ)に近(ちか)づきて
礼(らい)拝(はい)供(く)養(よう)も懇(ねんご)ろに
香(こう)花(ばな)灯燭(ともしび)とりささげ
粥(しゆく)飯(はん)茶(さ)菓(か)等(とう)供(そな)えつつ
身(しん)口(く)意(い)三輪(さんりん)淨(きよ)らかに
称(しよう)名(みよう)念(ねん)仏(ぶつ)経(きよう)陀(だ)羅(ら)尼(に)
座(ざ)禅(ぜん)観(かん)法(ほう)修(しゆう)すれば
浄(じよう)土(ど)はもとよりわが身(み)にて
心(こころ)が即(すなわ)ち仏(ほとけ)なり
つらつらこの身(み)を観(かん)ずるに
生(しよう)生(じよう)世(せ)世(ぜ)の父母(ちちはは)や
一(いつ)切(さい)衆(しゆ)生(じよう)にいたるまで
その恩(おん)愛(ない)の深(ふか)きこと
天(てん)の極(きわま)り無(な)きごとし
されば誓(せい)願(がん)たてまつり
無(む)明(みよう)の眠(ねむ)りを覚(さま)しつつ
行(ぎよう)住(じゆう)坐(ざ)臥(が)に怠(おこた)らず
一(いつ)心(しん)勇(ゆ)猛(みよう)に修(しゆ)行(ぎよう)して
無(む)辺(へん)の衆(しゆ)生(じよう)を慈(いつく)しみ
菩(ぼ)提(だい)の道(みち)に趣(おもむ)かせ
本(ほん)有(ぬ)の仏(ぶつ)性(しよう)発(ほつ)露(ろ)して
不報(ふほう)の恩(おん)を報(ほう)ぜんと
般(はん)若(にや)の船(ふね)に棹(さお)さして
涅(ね)槃(はん)の岸(きし)に到(いた)るべし


現代語訳   妙心寺派布教師会

 この先も行きながらにして「ほとけ」にならねばなりません。
 生まれながらにしていただいた「ほとけ」の心に気づかされれば、そのまま私が「ほとけ」でした。
 「ほとけ」や幸せが別にあったわけではなかったと、気づいたこの場が幸せの場です。
 「ほとけ」が「ほとけ」になるための生活こそが供養です。
 そういう毎日を送る中で自我にふりまわされないように、諸々の仏道を行じていれば求める幸せは却下にあって、私がそのまま「ほとけ」でした。

 つくづく自分を振り返ってみれば、先祖や両親やまわりの人たちいっさいが言い尽くせないおがげさま、ご恩の深さは無限大です。
 ならば日々の生活に誓いを立て、心を「ほとけ」とひとつにし、生活の当たり前を当たり前に努めましょう。
 限りない人々に手を差し伸べて、ともに仏道を歩みましょう。
 「ほとけ」の智慧の働きでもって、本当の幸せに向かって精進致しましょう。

(完)

 

 

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