善勝寺だより 第116号
令和3年9月13日発行
発行責任者 明見弘道
令和3年9月13日発行
発行責任者 明見弘道
水流れて元海に入り
月落ちて天を離れず
9月になって急に気温が下がり蝉も一時鳴かなくなりました。
皆様には如何お過ごしでしょうか。夏の疲れが出る頃です。気温の変化にも留意し、睡眠も十分にとっていただきたく存じます。
皆様には如何お過ごしでしょうか。夏の疲れが出る頃です。気温の変化にも留意し、睡眠も十分にとっていただきたく存じます。
さて、右の句のことですが、
『雨も霰(あられ)も雪もみな同じ水の流れになる。水は流れてみな元の海に帰る。お月様は見えなくなったといっても、決して消えてなくなったのではない。こちらから見えなくなっても、あの広い天を離れることはないのだ。
この句は禅の生死観をよく表しており、禅僧が死者に引導を渡す時によく唱えられている。死は決して喪失でも敗北でもありはしない。大いなる仏心に帰るのである。帰るのであるから不安になることも恐れることもない。(中略)
大切な人を失った悲しみは消えることはないであろう。それでも人は生きねばならない。残された者は生きねばならない。大いなる命の流れに中で、やがて一つになってまた会えると信じて、この与えられたいのちを、今日一日を精一杯生きてゆきたい。それこそが、亡くなった方への何よりの供養にほかならないからだ。』
(圓覺寺派管長横田南嶺老師著「人生を照らす禅の言葉」から引用させて頂きました)
『雨も霰(あられ)も雪もみな同じ水の流れになる。水は流れてみな元の海に帰る。お月様は見えなくなったといっても、決して消えてなくなったのではない。こちらから見えなくなっても、あの広い天を離れることはないのだ。
この句は禅の生死観をよく表しており、禅僧が死者に引導を渡す時によく唱えられている。死は決して喪失でも敗北でもありはしない。大いなる仏心に帰るのである。帰るのであるから不安になることも恐れることもない。(中略)
大切な人を失った悲しみは消えることはないであろう。それでも人は生きねばならない。残された者は生きねばならない。大いなる命の流れに中で、やがて一つになってまた会えると信じて、この与えられたいのちを、今日一日を精一杯生きてゆきたい。それこそが、亡くなった方への何よりの供養にほかならないからだ。』
(圓覺寺派管長横田南嶺老師著「人生を照らす禅の言葉」から引用させて頂きました)
葬儀の時、白木仮位牌に戒名をお書きしますが、上に新帰元とか新帰真と書きます。古い石塔には、帰空・帰一・帰本・還元などと書かれていますが、皆同じ意味で、元に帰るということです。
さて、お彼岸が近づいて参りました。今の私の生き様を顧みて、「一日一日大切に生きているのか」「精一杯生きているか」を自身に問うことがお彼岸の意義であります。
さて、お彼岸が近づいて参りました。今の私の生き様を顧みて、「一日一日大切に生きているのか」「精一杯生きているか」を自身に問うことがお彼岸の意義であります。
ご案内
秋季彼岸会
左記の如く、彼岸法要を厳修致します。
檀信徒の皆様におかれましては、多数ご参拝下さいますよう謹んでご案内申し上げます。
檀信徒の皆様におかれましては、多数ご参拝下さいますよう謹んでご案内申し上げます。
記
9月23日(木曜日)
午後2時より彼岸法要
法要終了後、住職の話
*受付はありません。
彼岸供養料、塔婆料(一基6,000円供養料含む)は、本堂内前机にお供え下さい。
(生花の販売はありません)
彼岸の塔婆を建てられる方は、前もって電話やFAXまたはメールでお申し込み下さい。
なお、そのさい施主名のほか、戒名、お参り予定日もご記入願います。
法要終了後、住職の話
*受付はありません。
彼岸供養料、塔婆料(一基6,000円供養料含む)は、本堂内前机にお供え下さい。
(生花の販売はありません)
彼岸の塔婆を建てられる方は、前もって電話やFAXまたはメールでお申し込み下さい。
なお、そのさい施主名のほか、戒名、お参り予定日もご記入願います。
東光山ミニ法話
『舎利礼文』その2
舎利礼文(しゃりらいもん)(全文)
一心頂礼(いつしんちょうらい) 万徳円満(まんとくえんまん)
釈迦如来(しゃかにょらい) 身心舎利(しんじんしゃり)
本地法身(ほんじほっしん) 法界塔婆(ほっかいとうば)
我等礼敬(がとうらいきょう) 為我現身(いがげんしん)
入我我入(にゅうががにゅう) 仏加持故(ぶつがじこ)
我証菩提(がしょうぼだい) 以仏神力(いぶつじんりき)
利益衆生(りやくしゅうじょう) 発菩提心(はつぼだいしん)
修菩薩行(しゅうぼさつぎょう) 同入円寂(どうにゅうえんじゃく)
平等大智(びょうどうだいち) 今将頂礼(こんしょうちょうらい)
前回は仏舎利のことと塔婆のことを説明しましたが、今回からこの舎利礼文を「仏さまと一つになるお経」(転法舎発行)を参考にして解説致します。
このお経は私が小学生の時、父から
「これはお墓で読むお経で、引磐(*いんきん)を打ちながら読むので経本を持って読めないから暗記しなさい」と言われた覚えがあります。意味など全く分からないまま読んでました。(お経は大体そういうものなのですが)
善勝寺では、納骨の時などお墓でも読みますが、法事の最後に香を焚いて塔婆を1基ずつ薫じる時も読んでいますので、聞きおぼえあるかと思います。
短いお経ですから、皆様も「延命十句観音経」と共に覚えて頂き、声に出して読んで下れば幸甚に存じます。
一心頂礼(いつしんちょうらい) 一心に礼拝致します。
「頂礼」とは五体投地(ごたいとうち)のことで、もともとは古代インドにおける最高の敬礼をいいます。仏さまへの敬意を体全体で表現するのですが、まず両膝(ひざ)、そして両肘(ひじ)・最後に頭を地面に投げ出して礼拝します。
臨済宗では、単に「拜(はい)」と言っていますが、両膝・両肘・頭を床に着けて拜をしますので、五体投地であります。
善勝寺では正月・彼岸・施餓鬼会などの行事には最初に皆さんと一緒に般若心経を読みますが、そのお経中に畳に、あるいは座布団の上に左手に掛けてあった布(座具(ざぐ)といいます)を敷いて三回拜をしています。これを三拝式と言います。大きな行事になりますと、これを3度繰り返す九拜式、6回繰り返す十八拜(じゅうはつぱい)式というのもあります。
仏さまあるいは高僧にたいしての最高の敬礼の姿です。
チベットなどでは、僧侶だけでなく一般信者も五体投地をします。膝を着けた後、完全に腹ばいになり手も伸ばします。同じ場所で何度も繰り返す場合と、五体投地で伸ばした手の位置に立って五体投地をし、また手の位置まで進み五体投地を繰り返します。表現はよくありませんが、最初インドで見たとき、まるでシャクトリ虫だと思いました。こうして仏塔を右回りに何度も回ったり、目的地である聖地まで何キロも五体投地で進みます。腹から膝にかけては皮の前掛けを着け、手には板と皮で作った大きな手袋をはめています。そこまでしてただ一心に五体投地を繰り返すのです。
さて「一心頂礼」ですが、五体投地という形式もさることながら、大切なのは「一心」なのではないかと思います。一心ですから、雑念をさしはさまずお参りすることが大切でしょう。
「頂礼」とは五体投地(ごたいとうち)のことで、もともとは古代インドにおける最高の敬礼をいいます。仏さまへの敬意を体全体で表現するのですが、まず両膝(ひざ)、そして両肘(ひじ)・最後に頭を地面に投げ出して礼拝します。
臨済宗では、単に「拜(はい)」と言っていますが、両膝・両肘・頭を床に着けて拜をしますので、五体投地であります。
善勝寺では正月・彼岸・施餓鬼会などの行事には最初に皆さんと一緒に般若心経を読みますが、そのお経中に畳に、あるいは座布団の上に左手に掛けてあった布(座具(ざぐ)といいます)を敷いて三回拜をしています。これを三拝式と言います。大きな行事になりますと、これを3度繰り返す九拜式、6回繰り返す十八拜(じゅうはつぱい)式というのもあります。
仏さまあるいは高僧にたいしての最高の敬礼の姿です。
チベットなどでは、僧侶だけでなく一般信者も五体投地をします。膝を着けた後、完全に腹ばいになり手も伸ばします。同じ場所で何度も繰り返す場合と、五体投地で伸ばした手の位置に立って五体投地をし、また手の位置まで進み五体投地を繰り返します。表現はよくありませんが、最初インドで見たとき、まるでシャクトリ虫だと思いました。こうして仏塔を右回りに何度も回ったり、目的地である聖地まで何キロも五体投地で進みます。腹から膝にかけては皮の前掛けを着け、手には板と皮で作った大きな手袋をはめています。そこまでしてただ一心に五体投地を繰り返すのです。
さて「一心頂礼」ですが、五体投地という形式もさることながら、大切なのは「一心」なのではないかと思います。一心ですから、雑念をさしはさまずお参りすることが大切でしょう。
(続く)
引磐(*いんきん)=棒の頭にリンが付いてて金属の棒でたたくとチーンと音がなるもの。
施餓鬼会無事終わりました
先月の施餓鬼法要には、多数ご参拝頂き誠にありがとうございました。
今年は昨年に引き続き、新型コロナウイルス感染防止のため、本堂の中に入ってのお参りは新盆をお迎えの家族の方のみと致しました。
皆様のご協力のもと、無事にお盆の行事を終えることが出来ました。
次に、役員と青年部の皆様には、雨の中準備から後片付けまでお骨折り頂きました、この場を借りて御礼申し上げます。
今年の施餓鬼会では、およそ1,500基の塔婆の申し込みがありました。
1基につき6,000円納めて頂きましたが、そのうち3,000円を塔婆代として、残り3,000円は、施餓鬼会供養料として一般会計に入金致しました。
また、コロナの関係などでお参りされなかった方の塔婆は17日と18日に、それぞれのお墓に建てお参りしておきました。
来年のお施餓鬼はどうなるかわかりませんが、以前のように1座200人ずつ4座行うことは難しいのかなと思っています。今後、役員会で検討してまいりたいと思いますが、皆様の忌憚のないご意見をお聞かせ頂きたく存じます。メール・電話・FAXすべて可能です。
今年は昨年に引き続き、新型コロナウイルス感染防止のため、本堂の中に入ってのお参りは新盆をお迎えの家族の方のみと致しました。
皆様のご協力のもと、無事にお盆の行事を終えることが出来ました。
次に、役員と青年部の皆様には、雨の中準備から後片付けまでお骨折り頂きました、この場を借りて御礼申し上げます。
今年の施餓鬼会では、およそ1,500基の塔婆の申し込みがありました。
1基につき6,000円納めて頂きましたが、そのうち3,000円を塔婆代として、残り3,000円は、施餓鬼会供養料として一般会計に入金致しました。
また、コロナの関係などでお参りされなかった方の塔婆は17日と18日に、それぞれのお墓に建てお参りしておきました。
来年のお施餓鬼はどうなるかわかりませんが、以前のように1座200人ずつ4座行うことは難しいのかなと思っています。今後、役員会で検討してまいりたいと思いますが、皆様の忌憚のないご意見をお聞かせ頂きたく存じます。メール・電話・FAXすべて可能です。
善勝寺からのお願い
次回、善勝寺だより「年末号」は、12月下旬に発送予定ですが、封筒は横書きになり護持費納入用紙(コンビニ振り込み)とともに送ります。
当方の事務的なことですが、檀信徒名簿のデーターベースが、今回のように直接封筒に印刷するときとは別になっており、今回の「彼岸号」は届いたのに、「年末号」は届かないといったケースが稀にあります。
もし、次回「年末号」が年内に届かなかったときは、ご連絡下さいますようお願い致します。
当方の事務的なことですが、檀信徒名簿のデーターベースが、今回のように直接封筒に印刷するときとは別になっており、今回の「彼岸号」は届いたのに、「年末号」は届かないといったケースが稀にあります。
もし、次回「年末号」が年内に届かなかったときは、ご連絡下さいますようお願い致します。
般若心経の教え
善きご縁に
コロナ禍以前は、行事の度に供菓や粗品などをお配りしておりましたが、昨年より参拝者も少なくなり、参加したくても寺に行けない方もありますので、檀信徒全員の方に「施本」を同封しております。
今回は、転法舎発行の「善(よ)きご縁(えん)に」を選びました。長野県の曹洞宗常輪寺中野天心住職が執筆されたものです。
是非お読み頂きたく存じます。
今回は、転法舎発行の「善(よ)きご縁(えん)に」を選びました。長野県の曹洞宗常輪寺中野天心住職が執筆されたものです。
是非お読み頂きたく存じます。
一部をご紹介致します。
【お釈迦樣はお弟子の方々に、「第一の矢は受けても、第二の矢をうけず」ということをお説きになりました。
日々の生活の中で、病気や怪我(けが)、災難、愛する人との別れ、仕事の失敗、失業など、人生における苦難や悲しみは残念ながら避(さ)けようがありません。
これらがまさに第一の矢です。理不尽(りふじん)であっても、自分の思い通りにならない第一の矢は誰にも避けることができません。
大切なことは、その現実をどう受け止め、どう生きていくかということです。
既(すで)に起こってしまった現実をなくすことはできませんが、そのことに押しつぶされたり、絶望することなく、むしろその事実に多くを学び、これからの生きる力に転じていくこと、それが「第二の矢を受けず」ということです。
「空」なる事実を確信し、善き縁を求め、善き縁に転じていく、そんな心掛けが第二の矢を受けない生き方に繋(つな)がっていくはずです。】
「施餓鬼会」の塔婆代はどうしてコンビニから払込ができないのですか?
という質問がありました。
コンビニからの振込はバーコードで読み取るため、あらかじめ金額がわからないと用紙を作製できません。施餓鬼会の塔婆は、家々によって本数が異なるためです。
でも、郵便局以外の金融機関や、インターネットバンキングからは振り込むことができます。その場合は、
ゆうちょ銀行 ゼロゴキユウ店 059番当座 0060592「善勝寺」です。
【お釈迦樣はお弟子の方々に、「第一の矢は受けても、第二の矢をうけず」ということをお説きになりました。
日々の生活の中で、病気や怪我(けが)、災難、愛する人との別れ、仕事の失敗、失業など、人生における苦難や悲しみは残念ながら避(さ)けようがありません。
これらがまさに第一の矢です。理不尽(りふじん)であっても、自分の思い通りにならない第一の矢は誰にも避けることができません。
大切なことは、その現実をどう受け止め、どう生きていくかということです。
既(すで)に起こってしまった現実をなくすことはできませんが、そのことに押しつぶされたり、絶望することなく、むしろその事実に多くを学び、これからの生きる力に転じていくこと、それが「第二の矢を受けず」ということです。
「空」なる事実を確信し、善き縁を求め、善き縁に転じていく、そんな心掛けが第二の矢を受けない生き方に繋(つな)がっていくはずです。】
「施餓鬼会」の塔婆代はどうしてコンビニから払込ができないのですか?
という質問がありました。
コンビニからの振込はバーコードで読み取るため、あらかじめ金額がわからないと用紙を作製できません。施餓鬼会の塔婆は、家々によって本数が異なるためです。
でも、郵便局以外の金融機関や、インターネットバンキングからは振り込むことができます。その場合は、
ゆうちょ銀行 ゼロゴキユウ店 059番当座 0060592「善勝寺」です。
編集後記
- 「善勝寺だより」116号をお届け致します。
- お盆が終わってホッとしていると、もうお彼岸です。時は人を待ってくれません。
- 彼岸には、墓参用生花の販売は致しておりません。当寺での販売は8月13日のみです、ご了承願います。
- 隣のコンビニ「ローソン」では、常時切り花の販売をしています。ご利用下さい。
- 彼岸法要の塔婆(6,000円供養料含む)お早めにお申し込みください。
- 次号は、年末号として年内に発送する予定です。それには令和4年度護持費のお願いと、コンビニ専用の振替用紙を同封致します。お早めに納入いただきますようお願いします。
- 次号が年内に届かなかったら、ご面倒でもご一報下さい。
(弘道)