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善勝寺だより 第68号

平成21年9月10日発行
発行責任者 明見弘道
(2ページ)
善勝寺だより第68号

東光山ミニ法話

 『般若心経』 その12

 

 遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃。

一切の顛倒した心を遠く離れて、永遠の平安「涅槃」に入る。 元々の教典には「一切」の2字は無かったのですが、いつの間にか加えられたと言うことです。顛倒は考え方が逆立ちしていること、間違った考え。夢想は夢のようなつまらない思いごとです。

四顛倒という言葉もあります。これまでの般若心経の解説にあったように、この世は無常であり、永遠なものは無いのですが、永遠だと思いこむ。この世は苦(思うようにならないものである)であるという真実を忘れ、願うこと全てその通りになり、楽しいものだと錯覚する。自分の体も含め全ては不浄であるのに清浄なものだと思う。自我も本来は無いものであるのに、実在だと思う。これらを凡夫の四顛倒と言います。

またこれとは反対に、無常・無楽・無我・無淨という理にとらわれて全てを否定的に、厭世的に考えることも正しくありません。これらを二乗(声聞・縁覚)の四顛倒と言っております。

『般若の智慧を具えた菩薩は、この無常の世にあって常住の法身を発見し、苦の世界に住しながら、無上の楽土を発見し、自我を否定し尽くしたところに諸仏の大我を自覚し、不浄の生活全てを浄化する智慧を発得され、一切の顛倒妄想を離れ、常に涅槃寂静の浄土に遊ばれるのであります。』(無文老師)

ここに至って初めて「涅槃に究竟す」となります。涅槃は円寂と訳されますが、円に寂で、常に微笑んでおれる世界が涅槃であります。

涅槃とは貪欲永えに尽き、瞋恚永えに尽き、愚痴永えに尽き、一切諸の煩悩永えに尽く、是を涅槃と名づく。 (雑阿含経)

究竟というのは、窮め尽くすと言う意味です。

この「涅槃を究竟する」ということは、私たちの人間性の本質に帰ることであります。いつも微笑んでいたいというのが人間性の本質でありましょう。赤ん坊がニコニコ笑っているように、いつもニコニコ笑っておれる世界が涅槃の境地であります。全てを受け入れることのできる心の広さを持つことであります。

(故山田無文老師著「般若心経」を要約抜粋しました。)

〈つづく〉

永代供養の善勝寺

事務局からのお知らせ

今月24日より書院玄関の拡張工事が始まります。旧庫裡に通じる敷石を外しますので、ご来山の折りには足下にお気を付け願います。。

工事中であっても、書院は法事の控え室、お斎の場として使用できます。尚、書院の工事は年内に終わる予定でありす。

また、10月には旧庫裡の解体も始まります。旧庫裡の場所には大玄関、第2客殿(8畳2間)、位牌堂ができます。書院の玄関と本堂横の大玄関は渡り廊下でつながりますので、雨天でも本堂への行き来が便利になります。

来年7月までの工事期間中は、何かとご不自由をおかけ致すことになりますが、何卒ご理解下さいますようお願い致します。

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