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善勝寺だより 第67号

平成21年7月1日発行
発行責任者 明見弘道
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善勝寺だより第67号

妙心寺のこと  その3

今回は、開山無相大師様のことを説明します。

一般的にお大師様と言いますと、弘法大師(空海)のことを表しますが、この「大師」というのは、偉大なる師という意味で、朝廷(天皇)より授けられた諡号です。

日本で最初に贈られたのは、伝教大師(最澄)です。妙心開山無相大師は今から100年前、550年遠諱の時、明治天皇より賜った名前です。

大師の他、国王の師という意味の「国師」と言う名もあります。やはり朝廷(天皇)が高僧に与えた称号です。

妙心寺の開山様は、関山慧玄と言う和尚様ですが、六代の天皇よりそれぞれ国師号を賜っており、正式名は、「本有圓成・仏心覚照・大定聖應・光徳勝妙・自性天真・放無量光、国師、無相大師大和尚」と云います。ジュゲムのように長い名前になりました。

信州中野城主の次男で1,277年生まれ、鎌倉建長寺の大應国師のもとで修行し、大徳寺開山大燈国師より印可(悟りの証明)を得ました。

その後、美濃(岐阜県)伊深の山奥に庵を結び、農民の助けをしながら、悟後(悟りの後)の修行をされていました。幾年か経過したあるとき、京の都から花園法皇様(前回説明済み)の使者が駕籠に乗って伊深の里に来られたので、村人はびっくり仰天です。そんな偉い和尚様とはつゆ知らず、ちょうほうな乞食坊主ぐらいに思って、牛の世話から子守までさせてしまったと詫び、その後村人達の寄進により、その庵の場所には、妙心寺筆頭奥の院と言われる正眼寺が建立されました。

現在そこは、大学まで備えたとても厳しい修行道場となっています。

開山様が伊深の里を後にされるときには、村人達と共に牛までもが何処までも何処までもついて行き、涙ながら見送ったと云うことです。

〈続く〉

 

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