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善勝寺だより

善勝寺だより 善勝寺だより 第42号
平成15年3月12日発行
発行責任者 明 見 弘 道
(3ページ)

◇境内の話題◇

2月16日と17日の2日間で観音堂は跡形もなく解体されました。

15日の朝読経し、額やら絵馬を外しておきました。解体時には、まる柱や欄間、格子などは大工さんによって丁寧に外され、できるだけ再建に利用する予定です。

額は平成2年、当時の村の教育委員会により赤外線写真による資料が残っていましたが、その文章は難解で、漢文の大家、京都本山の天祥院の老僧にその解読をお願い致しました。

また、この度外された『棟木札』も、保存状態が良く、観音堂建立のいきさつがよく解りました。

これらを総合的の判断しますとおよそ次のようになります。

寛文年中(1661〜1673最初の観音堂が建てられた時期)、当時境村の邑長(村主)の祖父の屋敷の内、草も生えず、何を植えても生育しないところがあった、主人がおかしいと思いそのところを掘ってみると木像一体を得た。これを家においていたところ子供がいたずらをして目が悪くなったり、腹が痛くなったり、またあるときは家中のものが重病になった。これは偶然ではないと思い、主人がこの木像を寺に寄付し門の左側にお堂を建てて安置した。 

是より霊験日々新たに、お産をするもの之を祈れば安産し、諸病を患うもの之を念ずればすなわち快癒する。多くのものが参拝するようになった。

100年近くたったお堂は再建の時を迎え、当寺8世住職、観心祖盛和尚は、20年以上の歳月をかけ、地方を巡回し、多くの信者より浄財を集め、ようやく再建することとなった。

棟木札には寶永8年4月28日

現住比丘祖運とあるが、4月25日に年号は改められ正徳元年(1711年)徳川5代将軍の時代であります。

 

 

永代供養の善勝寺 マンガ
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