善勝寺だより 第42号 平成15年3月12日発行 発行責任者 明 見 弘 道 |
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東光山ミニ法話
『白隠禅師座禅和讃』その10布施や持戒の諸波羅蜜、念仏懺悔修行等、
其品多き諸善行、皆この中に帰するなり。
他に施しをしたり、自分に厳しく戒を守ったりする仏教の実践(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六波羅蜜)。あるいは念仏を唱えたり、自分の行いを懺悔したり、身をもって仏道の修行をするなど、種類さまざまな諸々の仏道の実践も、結局はこの禅定(座禅)というもののなかで成就されるのである。(西村恵信師訳)
『波羅蜜』というのはインドの言葉でして「彼岸に至る」と訳されます。
「彼岸」つまり向こう岸です。向こう岸があるということはこちら側があるということです。こちらを「此岸」といい、前に述べた「六道」の世界をいいます。こちらの岸とあちらの岸を隔てているのが「煩悩の河」です。
そこで、向こう岸にいる「仏」はどのようにして煩悩の河を超えることができたか、その実践徳目内容が「六波羅蜜」ということとなります。
その第一番目が『布施』です。
布施という言葉は、今日でいうボランティアというのと同じです。ボランティアといわずに布施行といえばよいのですが、一般には「お布施」といえば、葬式や法事の時僧侶に出すお金のことと思ってしまいます。これも布施には違いありませんが、布施の一つにすぎません。これは財産の布施ですから「財施」といいます。
これに対してお釈迦様は「無財の七施」ということを説いておられます。
誰にでも例外なくできる7つの布施、人を積極的に喜ばせる方法といってよいでしょう。
この7つを順次見ていきます。
『和顔施』どんなに苦しくても一生懸命生きている人はすばらしい顔をしています。人を引きつけ、喜ばせる笑顔の持ち主です。
『眼施』「目は口ほどにものを言い」とも、「目は心の窓」とも言います。目はストレートにその人を表眼します。感謝、愛情の目は、人に対して大きな施しとなります。
『言辞施』言葉の持つ力は大きいものがあります。それだけに感謝の言葉、また、素直に謝ることも、その言葉は「布施」となります。しかし目も言葉もその力が大きいだけに人を傷つけることにも成りますので注意が必要です。
『心施』心がなければ目にも顔にも言葉にも出せないわけで、心はすべての根本ですが、「心の施し」というのは、人のために祈ることも含まれています。人が人のためにしてあげられることには限界があります。「どうか立ち直ってくれますように」などと心から祈る、これも大切な布施です。
『身施』体を使ってすること。これはたくさんあります。
『牀座施』座席を替わる、あるいはここが空いていますよと呼ぶのも好意であり布施になります。
『房舎施』は家に泊めてあげることです。人を泊めることは、様々な面で本当に献身的な努力が必要となります。
「理想的な社会になってほしい」というのはすべての人たちが願うところです。しかし、理想的な世界、仏教で言う『彼岸』に到達するためには、何をしなければならないのか、何が欠けているのか、できることでありながら実践せずに、逆に地獄を作る手伝いをしていたことがいかに多かったか、自分の生活に照らして考えなくてはなりません。
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