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善勝寺だより

善勝寺だより 善勝寺だより 第39号
平成14年6月25日発行
発行責任者 明 見 弘 道
  (2ページ)

東光山ミニ法話

『白隠禅師座禅和讃』 その7

 

     六趣輪廻の因縁は、己が愚痴の闇路なり。
       闇路に闇路を踏みそえて、いつか生死を離るべき。

「六つの迷いの世界(六道)を巡らねばならないことになったのも、自分の愚かさゆえの暗闇の道というほかないのだ。

そういう暗い道ばかりさまよい歩いていて、いつの日に迷いの世界を脱出することができよう。」

これは西村恵信先生の傍訳でありますが、ここで問題になるのが六道輪廻をどう捉えるかということです。

の六道は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上と呼ばれる6つの世界、6つの存在のありようを指しますが、これはお釈迦様が言い出されたことではありません。インド古くからの一般的な考え方であり、この世に生を受けてくる生物たちは、こうした6つの世界で生活していると、昔のインドの人たちは考えておりました。こうしたインドの伝統的な考え方が仏教に取り入れられ、深い洞察が加えられたのです。

これら6つの言葉は、日本語として伝統の中に深く浸透していますから、皆さまにもなじみのある仏教用語といえるでしょう。

「地獄」というのは100パーセント苦しみばかりであって、全く喜びのない世界です。間断なくおそってくる苦しみに、堪え忍ばなければならない世界です。

「餓鬼」、よく子供のことを餓鬼といいますが、子供というのは、相手にするといくらでもつけ込んで甘えてきて、「もういっぺん、もういっぺん」と際限なくなり、手のつけられない状態になります。

これでいい、これで充分満足ということがなく、いくらあってもまだほしいという状態、それが餓鬼です。

永代供養の善勝寺「餓鬼草子」という絵巻物に描かれている餓鬼の姿は、肋骨が洗濯板のようにむき出しで、手足はガリガリに痩せ細り、おなかだけがプクッと膨らんでいます。のどが渇いて水を飲もうとすると、水が炎になってしまい、腹が減って食べ物を手に取ろうとすると、その食べ物が炎になってしまう。こうした光景が、生々しく描かれています。

実際に水や食べ物が炎になるのではなく、自分にとってもっとも大切なはずの水や食べ物でさえ、餓鬼の目から見ると炎に見えるのです。

これを単なるおとぎ話だと思ってはいけません。私たちの現実の生活に引き当てて考えてみれば、その本当の意味するところが見えてきます。

たとえば「苦労」「努力」「困難」ということを考えてください。何かをやり遂げようとするとき避けて通ることができないもので、成し遂げようとするものが大きければ大きいほど、それに伴う苦労も大きいものになります。生きてゆくことの喜びも悲しみも、すべてはこうした苦労を乗り越え、解決してゆく中にあるのであって、充実した人生を送るためのなくてはならない水であり食べ物であります。

「苦労」「努力」「困難」を避けて通ろうとすることは、餓鬼が一番必要な食べ物を炎と間違えて、口に入れることができないのと同じことです。

そのようにして、常に満ち足りることなく、飢えているもの、これが餓鬼であります。

(故宗興老師の著書参考)
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