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善勝寺だより

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善勝寺だより 第98号

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平成29年3月7日発行
発行責任者 明見弘道
(2ページ)
善勝寺だより第90号

東光山ミニ法話



『魂のふるさと』  (山田無文老師著より)98号画

無文老師は、成人式に依頼されて記念講演をされていました。一般的には、青年は夢を持てとか、希望を持てとか、理想を持てとか言うのですが、老師はそういうことは言われませんでした。
 以下、無文老師の言葉です。
「人生が夢ではつまらんじゃないか。希望というて、あてのないものをあてにしたら、向こうから外れるに決まっておる。理想を持てと言っても、この世の中が理想通りにいったためしがないじゃないか。キリストもソクラテスも、理想をすべて裏切られた人たちであろう。
 人の世にもし理想通りに行った人があるとするならば、それはお釈迦様であろうか。お釈迦様はキリストと違って、80まで長命され『わしの救うべき者は全部救ってやった。まだ救わない者には救われる因縁を残しておくぞ』と言って、2月15日の夜半大往生を遂げられた。お釈迦様こそ理想を全うされた方かと思うが、世間の凡人がそう理想通りにゆくはずはない。

ところで、夢は持つな、希望は当てにならぬ、理想も駄目としたら、いったいどうしたらよいのだ。青年諸君はどういう覚悟で人生をスタートしたらよいのか。
 そこで老僧は申したい。未来に夢見るよりも、明日に希望を持つよりも、理想にあこがれるよりも、今日の自分をよく熟視しなさいと。今日の己に無限の価値と尊厳を発見しなさいと。
 今日生きておることが、どんなに素晴らしいことか。人間に生まれたことがなんと尊いことか。自己の尊厳と価値を自覚し、そこに自信を持つことが、そして今日を力一杯、充実して生きることが、もっとも大切なことであり、もっとも良い生き方ではないか。
 バラを栽(う)える人は、どんな花が咲くか、咲いたらどうしようかと、夢見る必要はない。品質が良くて茎がしっかりしていて、根が張っておれば、そしてよく手入れをすれば、良い花が咲くに決まっておるではないか。
 何がゆえぞ。」
『日々是好日』という禅語があります。中国、唐の時代「雲門」禅師の語です。「ひびこれこうじつ」とも読みますが、なぜか禅語として読む場合は、「にちにちこれこうにち」と言います。
 「にんげんだもの」などでしられています、相田みつおさんの詩98号画
「日々是好日」は
 ふっても てっても
 日々是好日
 泣いてもわらっても
 きょうが一番いい日
 私の一生の中の
 大事な一日だから

とあります。
 ムカつく日も悲しい日も、雨の日も風に日も、その時の感情や状態を大いに味わって過ごせば、かけがえのない日になる。
 新鮮な気持ちで目覚めたら、雨を楽しもう、寒さも味わおう。
       (ほっとする禅語より)

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