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善勝寺だより

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善勝寺だより 第94号

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平成28年3月10日発行
発行責任者 明見弘道
(2ページ)
善勝寺だより第90号

東光山ミニ法話



今年からこのコーナーでは、「魂のふるさと」(山田無文老師著)を元にして、書くことに致します。
 その第1回目は、釈尊誕生です。
 4月8日はお釈迦様の誕生日だと言うことはご存じの事と思います。
 降誕の年は諸説あるようですが、中村元先生の説では、紀元前463年となっており、今から2,479年前と言うことになります。
 父は釈迦族の都、カピラエ城のジョウバン王、母はその王妃マヤ夫人です。
 マヤ夫人は出産のため里方の居城テンヒ城に向かう途中、休息のため立ち寄ったルンビニ園で急に産気づかれ、夫人の右脇から忽然と、あたかも天界から降り下ったかのように、男児が安らかに産まれ落ちました。その時、兜卒天(とそつてん)の神々は香華を降らし、竜神は甘露の雨を注いで王子の体を浄めたとあります。
 以前は、「花祭り」と言ってどこの寺でも甘茶を煎じて振る舞いましたが、花御堂にまつられた降誕仏の像に甘茶をかける習慣もその謂われのためです。
王子は、おもむろに上下四方に頭をめぐらし、北に向かって七歩歩み、右手を高く上げて天を指し、左手を下げて地を指すと
 天上天下唯我独尊(てんじようてんげゆいがどくそん)
と唱えられました。


さてここからが、本題となります。
 山田無文老師は、これを
「天にも地にもわれ一人」とのタイトルで語られています。
 お生まれになってすぐ七歩も歩かれたり、大きな声でものを言われたりしたと申しますと、いかにも奇跡のようでありますが、仏伝の記者が信仰の目で見、信仰の耳で聞くと、そう見え、そう聞こえたのでありましょう。
 われわれでも生まれた時には、誰に遠慮もなく大きな声を張り上げて、オギャオギャと力一杯泣いたじゃありませんか。自分は愚かだから小さい声で泣こうの、家は貧乏だから遠慮して泣こうなどと、そんな分別も、計らいもなく、みんな力一杯大きな声で泣いたじゃありませんか。われわれとてもあの時は、「天にも地にもわれ一人」でありました。決して観念ではなく、全身を挙げて「唯我独尊」でありました。
 しかるに「おさなごが次第次第に智慧づきて仏に遠くなるぞ悲しき」とやらで、いつの間にか、あの力強く生まれ出た時の自分を忘れてしまって、わたしほどつまらぬ者はない、わたしほど愚かな者はない、わたしほど貧しい者はない、時には、わたしほど偉い者はないなどと一々分別し、はからいをする気の小さい自分になってしまいました。
 死ぬまで本心と一つである力強い自分、天にも地にもかけがえのない、尊厳なるわれ一人の自信を持ちたいものであります。

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