善勝寺だより 第90号gou号平成27年3月6日発行発行責任者 明見弘道 (2ページ) |
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東光山ミニ法話
『法句経(ダンマパダ)』その17 無益(むやく)の句より成る
そのことば
たとえそのかず
千ありとも
それを聞き
心の寂(やすけき)をうる
意味深き一句こそ
遥(はる)かにもまさる
100 (友松圓諦師訳)
中村元氏の訳は、次のようになっています。
「無益な語句を千たびかたるよりも、
聞いて心の静まる有益な語句を一つ聞くほうがすぐれている。」
今回は、(故)山田無文老師の解説を参照して紹介します。
かつて、無文老師が出雲での講演の後、一人の老人が老師に次のような質問をしました。
「だいたい仏教には、教典が多すぎる。自分たちのような忙しい在家の者には、とても読みきれるものではない。キリスト教のバイブルのように、ポケットに入るくらいの簡単なものにならないものか」
老師は、次のように答えたそうです。
「それは図書館に行って、本が多すぎて読み切れないから減らしてくれと言うようなもので、本が多いということは、それだけ文化が進んでおるということで立派なことである。
しかし、どれを読んで良いかわからないのも事実である。そこで、昔の祖師(そし)方が、ご親切に我々に代わってお釈迦様の一切経を何度もお読み下さって、その夥(おびただ)しい教典の中から、弘法大師は『大日経』と『理趣経』さえ読めば、即身成仏できるとお示し下され、伝教大師や日蓮聖人は、『法華経』さえ読めば、他は読むに及ばぬと教えられ、法然上人は、浄土の三部経を読めば、往生極楽疑いなしと導かれ、それぞれの宗派というものができたのだから、全ての教典を読まなくても、あなたの信ずる宗派の教典だけを一心に読まれたら良いでしょう。
しかもそれさえ読むまいと思われて、日蓮聖人は、南無妙法蓮華経と、七字の題目を唱うれば、『法華経』を読んだと同じ功徳があると強調され、法然上人は、三部経を読まなくても、南無阿弥陀仏の六字の名号を唱えれば、往生疑いなしと、大慈悲を垂れられたのである。バイブルほども要らない。たった六字・七字で救われるのだから、勿体ない限りではありませんか。
禅宗は、六字も七字も多すぎる。『無(む)』の一字が解れば良い、というのだから、これ以上簡単な教えが他にありましょうか。」と答えられたそうです。
禅宗は、不立文字(ふりゆうもんじ)、教外別伝(きようげべつでん)といって、沢山の教典を必要としません。祖師方の示された、「無」とか「関」あるいは「日々是好日」などの一句を公案として、それに精神を集中して修行します。
「無益な知識をたくさん集めることによって、知能を浪費するよりも、真に自己の霊性にかかわる大切な一句を守って、日々の精神に統一と安定を与えることを忘れてはならぬであろう。」
無文老師はこう結んでおられます。
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