善勝寺だより 第84号平成25年9月10日発行発行責任者 明見弘道 (2ページ) |
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東光山ミニ法話
『法句経(ダンマパダ)』その11眠りえぬものに
夜はながく
つかれたるものに
五里の路はながし
正法(まこと)を知るなきおろかものに
生死(ひと)の輪廻(よ)はながからむ
(六十) 友松圓諦師訳
中村元氏のパーリ語からの現代語訳は、「眠れない人には夜は長く、疲れた人には一里の道は遠い。正しい真理を知らない愚かな者どもには、生死の道のりは長い。」となっています。
秋の夜は長いと言いますが、眠れない人にとっての夜は実際の時間ではなく感覚的に長く感じられるものです。どうも眠りつけない、何度も寝返りを打つ、どうしてもなかなか眠りつけない、どうしてこう眠れないだろうとあせる。早く寝なくてはと思うとますます目が覚めてゆく。こんな経験は誰しもあろうかと思います。私はこの頃、カフェインに敏感になり、午後からのお茶は飲まないようにしているのですが、通夜の席などでつい飲んでしまうと、いったん寝てもすぐ目が覚め、その後眠れないことがあります。お茶ぐらいでそうなるのはまだしも、病気や心配事などで眠れないことが何日も続くとしたら大変つらいことです。また、悔しくて、あるいは、腹が立って眠れないことは、多くの方が経験されていることでしょうが、眠れない夜は長く感じるものです。
逆に、「春眠は暁を覚えず」と言うように、よく眠れたときは「もう朝なのか」と思うことがあります。こういったときの目覚めはとても気持ちよく感じられます。
次に、「疲れたるものに五里の路はながし」ですが、中村元氏の訳は一里となっています。原文はヨージャナといってインドでの距離を表す単位です。
ここでは特に距離が問題ではないのですが、いろいろな説があるうちで、徒歩一時間程度の距離であろうとの説をとれば五q位いとなります。
同じ五qの道を歩くにしても、元気なときと疲れたときとでは雲泥の違いがあります。最近長く歩くことはほとんどありませんが、高校時代の山登り、ネパールでのトレッキングなどを思い出します。高校では自然科学クラブに入っていましたので、夏休みには御嶽山、木曽駒ヶ岳など登りましたが、帰り道が大変だったことを覚えています。
女性は、もう歩けないから荷物もってと言いだしたことがあります。あと一qでバス停と言うのになかなかたどり着けなく長く感じました。
こうした誰でも経験したことがある、身近なたとえを持ち出されてお釈迦様が言わんとする結論は、次の一説であります。
「正法を知らない愚か者にとっては、
妄想と執着のつきぬ迷いの世界は、
果てしなく長いことであろう」(無文老師訳)
生死の輪廻、生死の道のりとは、人生の苦しみのことを表しています。
鎌倉建長寺の冊子に、
苦しみはなくならないよ
苦しみでなくなるのだよ
とありました。『苦』とは思い通りにならないことです。老、病、死、愛する人と別れること、憎しみのある人と暮らさなくてはならないこと、欲しいものが得られないこと。生きている限り避けられない『苦』ですが、四諦八正道(前回説明済)の真理(正法)を見ることにより、苦が苦しみでなくなるのだよ、と教えられています。
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