善勝寺だより 第106号gou号平成31年3月10日発行発行責任者 明見弘道 (2ページ) |
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東光山ミニ法話
『延命十句観音経』 円覚寺派管長 横田南嶺老師著
常(じよう)楽(らく)我淨(がじよう) その3
前回まで、この世の中、「常」なものはどこにもなく「無常」である。「楽」ではなく「苦」である。「我」ではなく「無我」。「淨」ではなく「不浄」であるということを述べてまいりました。 またこれらは、ありのままにものごとを見ることであり、仏教ではこれを「智慧」と言います。この智慧でもって相手のことを観察できると、私はどう働いたらよいか、ということに行き着きます。以上が前回までの内容でした。
[自分の事ばかり頭にあったのでは、そばにいる人の様子にも気がつかなくなってしまいます。朝の一時でも心を澄ませて、常に相手に何をしてあげたらいいか、つらいこと苦しい事があるようなら、ともに悲しんで、どうにかしてその悲しみを取り除いてあげられないか智慧を働かすことです。
喜んでいたらともに喜んであげます。そしていつも穏やかな心でいてあげることが、相手には一番の慈悲です。
こうして智慧を働かせて、慈悲を実践してゆくことで、まことの「常楽我浄」が得られます。
お互いをいたわり、思いやる、何かをしてあげよう、辛いことがあったら聞いてあげよう、うれしい事があればともに喜んであげよう、いつも穏やかな心でいることによって「常」つねに変わることの無い「楽」楽しみが毎日得られ、「我」慈悲の心を持って生きることこそ、まことの私であり「淨」清らかな生き方であるということが出来ます。
その昔、ある学生が山田無文老師にお尋ねをしました。
「本当の自分とは何でしょうか。」
無文老師は答えました。
「きみは今日から、自分のことを勘定に入れないで何か一所懸命人のために尽くしてご覧なさい。とにかく一所懸命人のために尽くして、そして心から良かったと思える自分がいたら、それが本当の自分ですよ」と。
自分のことを勘定に入れず人のために尽くすとは、観音さまの心、仏さまの心そのものです。そしてこの仏さまの心こそが私達の本心なのです。
移ろいやすい世の中にあって、人を慈しみ思いやる心こそ、変わらぬものであり、苦しみ多い世の中にあって、人を慈しみ思いやることこそが本当の楽しみであり、人のために尽くすことこそが本当の我、本当の自分であり、人のためを思う心こそが、一番清らかであるということです。
この「常楽我浄」こそ観音さまの心のすばらしさであり、私達の本心である仏さまの心のすばらしさでもあります。]
(つづく) |
花園会のコーナー
米寿・百歳の方はお申し出下さい
花園会員(檀徒とその同居の家族の方)で米寿(数えの88才)と百歳をお迎えの方には本山の管長様からお祝いの手紙に添え記念品(輪袈裟)が頂けます。
今年平成31年は、昭和7年生まれの方、大正9年生まれの方、またそれ以上でまだ受けておられないかたがその対象となります。
対象者がおられましたらご連絡下さい。当寺で手続きいたします。
6月末までにお申し込みいただければ施餓鬼会に皆様の前で授与できます。
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